2022年11月25日 (金)

【猫】お腹の腫瘍

21歳の猫、お腹に腫瘍が発見されました。

 

半年に一度の精密検査(エコー)で発見。

検査結果をいつものように待合室で待っていたら、院長先生からお声がけいただいた。

何故だかその瞬間「暗い物」を感じた。


良性か悪性か分からないのでとりあえず細胞診検査をお願いした。


結果は1週間ぐらいかかるとのこと。



仮に悪性な物であっても高齢なので「手術」という選択はしないことにした。



基礎疾患に「腎不全」があるのでそれとも相談。


「腎不全」は3日一度、自宅補液で数値は落ちついているけれど、高齢でだんだんと痩せてきている。


高齢猫用の食事よりもカロリーの高い子猫用のフードを薦められている。


前に看取ったネコ達もそう言われてきた。

デブネコ用の低カロリー食を高齢で衰弱してきている猫に与えるのは違うと。


今は食べる物は何でも食べさせてモード。



頑張って!



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2022年9月27日 (火)

【全文】菅義偉前首相 弔辞 安倍元首相「国葬」

いろいろと問題があった人のいろいろと問題のあった「国葬」


でも「菅義偉前首相」(元官房長官)の弔辞は良かった。

奈良で狙撃された時にあの人は寂しがりだからと駆けつけたとのエピソードを聞きました。



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【友人代表弔辞】

七月の、八日でした。

信じられない一報を耳にし、とにかく一命をとりとめてほしい。

あなたにお目にかかりたい、同じ空間で、同じ空気を共にしたい。

その一心で、現地に向かい、そして、あなたならではの、あたたかな、ほほえみに、最後の一瞬、接することができました。

あの、運命の日から、八十日が経ってしまいました。

あれからも、朝は来て、日は、暮れていきます。

やかましかったセミは、いつのまにか鳴りをひそめ、高い空には、秋の雲がたなびくようになりました。

季節は、歩みを進めます。

あなたという人がいないのに、時は過ぎる。

無情にも過ぎていくことに、私は、いまだに、許せないものを覚えます。

天はなぜ、よりにもよって、このような悲劇を現実にし、いのちを失ってはならない人から、生命を、召し上げてしまったのか。

口惜しくてなりません。

哀しみと、怒りを、交互に感じながら、今日の、この日を、迎えました。

しかし、安倍総理…と、お呼びしますが、ご覧になれますか。

ここ、武道館の周りには、花をささげよう、国葬儀に立ちあおうと、たくさんの人が集まってくれています。

二十代、三十代の人たちが、少なくないようです。

明日を担う若者たちが、大勢、あなたを慕い、あなたを見送りに来ています。

総理、あなたは、今日よりも、明日の方が良くなる日本を創りたい。

若い人たちに希望を持たせたいという、強い信念を持ち、毎日、毎日、国民に語りかけておられた。

そして、日本よ、日本人よ、世界の真ん中で咲きほこれ。

―これが、あなたの口癖でした。

次の時代を担う人々が、未来を明るく思い描いて、初めて、経済も成長するのだと。

いま、あなたを惜しむ若い人たちがこんなにもたくさんいるということは、歩みをともにした者として、これ以上に嬉しいことはありません。

報われた思いであります。

平成十二年、日本政府は、北朝鮮にコメを送ろうとしておりました。

私は、当選まだ二回の議員でしたが、「草の根の国民に届くのならよいが、その保証がない限り、軍部を肥やすようなことはすべきでない」と言って、自民党総務会で、大反対の意見をぶちましたところ、これが、新聞に載りました。

すると、記事を見たあなたは、「会いたい」と、電話をかけてくれました。

「菅さんの言っていることは正しい。北朝鮮が拉致した日本人を取り戻すため、一緒に行動してくれれば嬉しい」と、そういうお話でした。

信念と迫力に満ちた、あの時のあなたの言葉は、その後の私自身の、政治活動の糧となりました。

その、まっすぐな目、信念を貫こうとする姿勢に打たれ、私は、直感しました。

この人こそは、いつか総理になる人、ならねばならない人なのだと、確信をしたのであります。

私が、生涯誇りとするのは、この確信において、一度として、揺らがなかったことであります。

総理、あなたは一度、持病が悪くなって、総理の座をしりぞきました。

そのことを負い目に思って、二度目の自民党総裁選出馬を、ずいぶんと迷っておられました。

最後には、二人で、銀座の焼鳥屋に行き、私は、一生懸命、あなたを口説きました。

それが、使命だと思ったからです。

三時間後には、ようやく、首をタテに振ってくれた。

私はこのことを、菅義偉生涯最大の達成として、いつまでも、誇らしく思うであろうと思います。

総理が官邸にいるときは、欠かさず、一日に一度、気兼ねのない話をしました。

いまでも、ふと、ひとりになると、そうした日々の様子が、まざまざと、よみがえってまいります。

TPP交渉に入るのを、私は、できれば時間をかけたほうがいいという立場でした。

総理は、「タイミングを失してはならない。やるなら早いほうがいい」という意見で、どちらが正しかったかは、もはや歴史が証明済みです。

一歩後退すると、勢いを失う。

前進してこそ、活路が開けると思っていたのでしょう。

総理、あなたの判断はいつも正しかった。

安倍総理。

日本国は、あなたという歴史上かけがえのないリーダーをいただいたからこそ、特定秘密保護法、一連の平和安全法制、改正組織犯罪処罰法など、難しかった法案を、すべて成立させることができました。

どのひとつを欠いても、我が国の安全は、確固たるものにはならない。

あなたの信念、そして決意に、私たちは、とこしえの感謝をささげるものであります。

国難を突破し、強い日本を創る。

そして、真の平和国家日本を希求し、日本を、あらゆる分野で世界に貢献できる国にする。

そんな、覚悟と、決断の毎日が続く中にあっても、総理、あなたは、常に笑顔を絶やさなかった。

いつも、まわりの人たちに心を配り、優しさを降り注いだ。

総理大臣官邸で共に過ごし、あらゆる苦楽を共にした七年八か月。

私は本当に幸せでした。

私だけではなく、すべてのスタッフたちが、あの厳しい日々の中で、明るく、生き生きと働いていたことを思い起こします。

何度でも申し上げます。

安倍総理、あなたは、我が日本国にとっての、真のリーダーでした。

衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。

岡義武著『山県有朋』です。

ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。

そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。

しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。

総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。

かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ

深い哀しみと、寂しさを覚えます。

総理、本当に、ありがとうございました。

どうか安らかに、お休みください。

令和四年九月二十七日 前内閣総理大臣、友人代表 菅義偉

 

 

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2022年6月13日 (月)

はやぶさ2

 

「「はやぶさ2」まとめビデオダイジェスト版公開」

 

https://www.hayabusa2.jaxa.jp/topics/20220613_movie/

 

じつはコッチの動画が格好良くてブログを書き始めたけれど、ちかれて後はまた今度。

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はやぶさ

「はやぶさ1」は涙なしでは見られなかったけれど、「はやぶさ2」は感動したなぁ。


「はやぶさ」プロジェクトは小惑星イトカワから標本を採取して地球に持ち帰るという目を見張るプロジェクト。


とくに「はやぶさ1」 2003年5月9日に打ち上げられ


・2003年11月4日:観測史上最大規模X28の太陽フレアに遭遇した。フレアの放射を浴びた太陽光パネルは回復不可能な劣化。

・2005年7月31日:リアクションホイール (RW)3基のうちx軸周りを担当していた1基が故障して回転しなくなった。

・2005年10月2日:y軸のリアクションホイールが停止

・2005年11月28日:通信が途絶した。

・2005年12月8日:キセノンガスを使っても姿勢を回復できなかった。以前に漏れていた燃料が気化して噴出した可能性が考えられたが、原因は特定されていない。通信が途絶した。

・2006年1月23日:はやぶさからのLGAによる低速度通信の電波がかろうじて受信された。

・2006年3月6日:3か月ぶりに位置や速度が特定

・2006年4月25日:地球帰還にそなえて巡航運転を開始

・2009年11月4日:1基のイオンエンジン(スラスタD)が中和器の劣化によって自動停止

・2010年6月13日

   15時6分:ハワイ島のすばる望遠鏡がはやぶさの撮影に成功。地球までの距離は約17万km。

   19時51分:カプセルの切り離しを行った。地球までの距離は約7万km。


   22時02分頃:地球を撮影。

   22時27分頃:内之浦局に地球の写真を送信中に水平線の向こう側に入り通信途絶。

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さまざまな困難を乗り越えて帰ってきたはやぶさに、その「目」でもう一度地球を見せたいとのプロジェクトマネージャ川口教授らの思いからカメラの電源が入れられた。5 ~6 枚とった写真のうちの1枚に、地球が写っていた。

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最期に撮影した地球、右下で止まっているのが悲しい。


ISAS | ラスト・チャンスの地球撮像 / トピックス





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2022年5月16日 (月)

「ご主人に頭を撫でられた馬が5秒後、想定外の行動に言葉が出ません【面白】 」

「ご主人に頭を撫でられた馬が5秒後、想定外の行動に言葉が出ません【面白】 」


ちょっと忙しいのでリンクだけ

 

http://gyyplay.com/doc_ZVRJOXEzSG1jNTVnUm9YTVJNYmF4UT09

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2022年3月27日 (日)

サンデーサイレンス

思い出の馬。

私個人としてもすごく思い入れがあり、感謝し、忘れられない馬。


どうしても見たい動画が有るのだけれど時間が取れないので備忘の為。


 

 

 

https://youtu.be/ddKoSv-RNJ8

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2022年2月 2日 (水)

ワクチン

COVID19の予防接種が始まっています。


反対派には反対派の意見があると思いますが、


私は「賛成派」です。


ウィルス除去が出来る製品? スプレー? 全部「詐欺」だと思っています。

 

そんなに廉価で入手出来るものならとっくの昔に鎮圧されているでしょう。

そもそも真っ先に病院で使われるはず。

 

 

知らない物に恐怖を持つことは当然なことと思います。

調べたくとも専門知識が無いので高度な論文は理解出来ません。

 

 

それを煽る人々こそ「真の加害者」だと思います。

マスコミやSNSに出ないで下さい。

 

 

感染しない物ならばご自由に苦しんで下さい。

救急車も呼ばないで下さい。

病院にも行かないで下さい。

 

 

罹患した「反対派」のご意見を伺いたいですね。

 

 

基礎疾患がありますが私は受けます。(医師の判断次第ですが。)

 

不幸にも副反応が出ればそれが「症例」として後世に役立てば馬齢を重ねた恩返しになると思っています。

(苦しまないようにしていただければ助かりますが。。。)

 

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2021年11月20日 (土)

骨折

転びました。


眠剤を飲んだ後、ヤ〇ルト飲みたいと徘徊して転倒。

 

手首の骨「橈骨」に4箇所の骨折線。

 

アレルギーがあるので麻酔なしで「整復」。

 

あんなに痛いのは久しぶり。

 

思わず「いたいいたい」と言ってしまいました。

 

指一本でキーボードを打つのは辛いです。

 

いたいよーーーー

 

 

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2021年8月27日 (金)

The Deep Sea

 

「The Deep Sea」

 

スクロールしていくとそこで確認された海洋生物が表示される。


意外な物がいる。

 

ゾウアザラシ、2,389m ほぼ富士山だよ~

タイタニック号、3,800 meters.

 

https://neal.fun/deep-sea/

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2021年8月 6日 (金)

「あの日、列車は走っていた」=全文無断転載

記事を見つけたのでそれについて書こうと思ったのですが、自分の言葉では書けませんでした。

想像すら出来ないので全文無断転載です。それも一部抜粋です。意図的にはならないように留意しました。

 

 

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013178241000.html

 

爆心地の広島市と広島県の北部を結んでいたのはいまのJR芸備線。

当時の様子を知りたいと、JR西日本広島支社に取材すると「戦時中の記録はほとんど残っていない」とのことでした。

そこで、広島市がまとめた「原爆戦災誌」をひもとくことにしました。

そこには「九日、芸備線が第八0一列車を初列車として、全面的に運転を開始した」との記述がありました。

 

「原爆戦災誌」や「原爆医療史」には8月6日当日に開設された救護所が記されています。

 

 

6日当日に列車を動かしたという男性にたどり着きました。

河原謹吾さん、95歳です。

当時、芸備線の車掌を務めていました。

 

 

河原謹吾さん 


「6日の日は確かに列車を動かしました。道路沿いにはがれきなんかがあるんで線路伝いにけがした人がどんどん入ってきました。服が破けてほとんど裸みたいな、かわいそうな人がいっぱいいました。

どこまで帰りますかという確認をしてですね、乗れるなら乗りなさいいうて。なんとかしてこの人たちが元気になっておうちに帰れればいいなと」

 

身元がわからないまま運ばれて、そのまま亡くなり、火葬された人も少なくありません。

そうした人を悼むため、爆心地から遠く離れた各地に慰霊碑が点在しているのです。

 

境章造さん
「8月7日、学徒動員で工場に行くと、広島から通っていた女学生など、全体の半分も出勤していなかった。仕事にならないので、材料を整理していると、学校から命令がありました。

広島で火災が起きて、避難してこっちに帰ってくるということで。救護活動に向かうことになった」

 

境章造さん
「この近くの河原でも毎日毎日遺体を火葬して、煙が上がっていた光景がいまでも目に浮かぶ。原爆は許しちゃいけんということを訴えるためにもこういう像は必要であろうかと思う。

平和は大切なんだ、戦争はいけんのじゃということを子どもにも若い人にも意識してもらって、引き継いでくれりゃええがなと思う」

 

 

 

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