赤坂の夜は…
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「ポチたま」というテレビ番組で有名だったラブラドールの「だいすけ」君が急逝されたそうな。。。 (T_T)
Twitter の公式アカウントより
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@pochitama_bsj だいすけ君 11月29日(火)午前9時10分 旅先でだいすけ君が急逝しました。あまりに突然のことで、我々番組スタッフも心の整理が出来ずにおります。だいすけ君を愛し、応援してくれた皆様、今まで本当にありがとうございました。だいすけ君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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ホームページ(http://www.bs-j.co.jp/daisuke/)によれば、「胃捻転」とかで緊急手術後に容態が急変されたらしい。。。
大好きなテレビで、お父さんの「まさお」君の頃から見ていた
「まさお」君も確か7歳ぐらいで亡くなったはず。。。
「だいすけ」君は2005年生まれらしいから、6歳か。。。
早すぎる
出演者の松本君をはじめスタッフの皆様の心中はいかばかりか。。。
いつかは亡くなる命だけれども、早世を見送るのは辛い。。。(号泣)
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外付けキーボードが接触不良を起こしてるぅ
ただいま不便な「ローマ字入力}なぅ
ああーじゃまくさいい 明日ブラックホールから発掘せねば。。。
ローマ字入力だとキーボードの一番上の段は使わないのね (((((((・・;)サササッ
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ゼミのOB会、午前様 ヘ(__ヘ)☆\ばき(^^;)
おまけに、いつの間にやら「永世」幹事になってるし~
高校もなんじゃかんじゃで100周年幹事になってるし~
「自称」ヒマ人は「パシリ」と相成るわけでございます \(__ )
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今日はゼミの同窓会
恩師にお目にかかれるのは何年ぶりやら。。。
たるんでるんじゃねぇ、とか喝入れられそう (^_^;)
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↓ 「阿鼻叫喚」
FAMILY HOME DESTROYED BY AVALANCHE - CHILDREN TO BLAME
しかし、お母さんもよく動画を撮る気になれたものだ。。。 (((((((・・;)サササッ
むかし、知人のお宅で同様のことが起きた
そちらは「食用油」 \(__ )
彼女がお風呂から出たら、「油地獄」
息子さんがヌルヌルの中で転げ回って喜んでいらしたそうだ。。。
想像するだにオソロシイ
でも、いいさ
元気に育てよ
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あの時(1986年4月26日)、何が起きたのか「真実」(おそらく)が語られています。
語っていらっしゃる方は
「ヴァレリー・アレクセーエヴィチ・レガソフ(ロシア語: Вале́рий Алексе́евич Лега́сов、1936年9月1日 - 1988年4月27日)は、ソビエト連邦の化学者、ソビエト連邦科学アカデミー会員。チェルノブイリ原子力発電所事故の調査委員会責任者を務めた。
ソ連政府の事故調査委員会の中心人物であったレガソフは、隠さずに情報公開する姿勢が政府の反感を呼び、さまざまな問題に悩まされた。その間も放射線は彼の身体をむしばんでいった。
レガソフは、事故2周年にあたる1988年4月26日に、チェルノブイリ事故発生直後から災害防止の活動ぶりや住民避難を生々しく記述した告発文をソ連共産党機関紙 「プラウダ」 の幹部に極秘に手渡した。」
↓これも長文ですが、読んでいただきたいと思います。事実をオブラートでくるんだのか、
BBCのものが「扇情的」なのか判断できると思います。
レガソフ(松岡信夫訳)「これを語るのは私の義務・・・・・」(PDF)1988年5月20日付『プラウダ』に掲載、『技術と人間』1988年7月号、8月号に訳出
下の動画を見た時は、「吐き気」がしました。
一部の人間の「保身」を憎みます。
そして勇敢だった人々のことを思い、涙が出ました。
もちろん、私がここで何を語っても、事故はなかったことにならないし、「福島」で今起きていることが収束するわけでもありません。
見なかったことにして、チャラチャラと暮らしていた方が良いのかもしれません。
私には出来ませんでした。
「人間の心」をもって苦しんで逝った人々のために、動画を掲載します。
繊細な神経の方、どうかご覧にならないで下さい。
以下、閲覧注意です。
もう一度、書きます。
軽い気持ちでご覧にならないで下さい。
何の解決策もありません。
「ハッピーエンド」はありません。
閲覧注意です。
2006年 BBC作成
チェルノブイリ原発事故 ワレリー・レガソフ回想録 Part 1/4
チェルノブイリ原発事故 ワレリー・レガソフ回想録 Part 2/4
チェルノブイリ原発事故 ワレリー・レガソフ回想録 Part 3/4
チェルノブイリ原発事故 ワレリー・レガソフ回想録 Part 4/4
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例によって↓から無断転載 ヘ(__ヘ)☆\ばき(^^;)
http://acidcow.com/pics/16989-cats-with-fur-hearts-20-pics.html
サイトが無くなると残念だから、これも無断でペタペタ
萌えて~、萌えて~
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2011年3月5日に「放射線医学研究所」のセンセが作った資料 ↓
http://www.kwasan.kyoto-u.ac.jp/usss/etc/symp4/usss_yasuda.pdf
ところどころに卒倒しそうな「算数」らしきものがあるけれど、コレは良さそう
頭がヒマな時に読もうっと ヾ(^^;)
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昨日の同窓会は60名ぐらいいらっしゃっていた
学年全員が200名だから1/3かぁ。。。
みんな歳を取ってお母様そっくりになっていらっしゃっていて笑えた ヾ(^^;)
女系の遺伝子は強い (((((((・・;)サササッ
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それも女子校。。。
いやぁ~、チェックの厳しいこと (^_^;)
恩師は風紀検査モードでした
でも学年一の美人はとても素敵な方で、テレビで見ているどの女優さんよりもキレイ
目の保養でした~!!
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「『蒸気船ウィリー』(じょうきせんウィリー、原題:Steamboat Willie)は、1928年11月18日にアメリカ合衆国で公開されたディズニー制作の音入り(トーキー)短編アニメーション作品である。
ミッキーマウスの短編映画シリーズとして最初に公開された作品である。」 (Wikipedia)
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今日はボージョレーの解禁日
昔ほど騒がれなくなったけれどね
ついに今年は飲まなかった
少しずつ習慣を減らしていかないとね
人生を収縮していかねばいかんのだよ
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いい年をして「マンガ」を読んでいる \(__ )
「聖☆おにいさん」(セイントおにいさん)
「目覚めた人ブッダ、神の子イエス。世紀末を無事に越えた二人は、東京・立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごしていた。近所のおばあちゃんのように、細かいお金を気にするブッダ。衝動買いが多いイエス。そんな“最聖”コンビの立川デイズ。」
細かいところがいちいちウケル (^_^;)
お腹が空いた時は、「ブッダ」は断食修行と言い、「イエス」には「水」と「石」を渡し、「ワイン」と「パン」にしろと言ったりする
他にも細かいところが 。・゚゚・(^▽^)・゚゚・。
2007年から連載されていたらしい
前から読みたいなぁと思っていたところ、TSUTAYA が初回レンタルなんちゃらキャンペーンをやっていたので、借りてみた
やばい、買いそう (^_^;)
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お台所のものが交換になった
別に不具合もないのだけれど、というか作動したこともないけれど、賞味期限切れなのかしら?
そう言えば、前のマンションではよく鳴ったなぁ。。。
煮魚作っては「ビービー」、チンして電子レンジの中をきれいにする「ナントカ」ヾ(^^;)でも「ビービー」
その度に警備会社がぶっ飛んでくる
第一、心臓に良くない
それ以来「煮魚」を作っていないなぁ。。。
感知器テストに作ってみよーかなー ヘ(__ヘ)☆\ばき(^^;)
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洋服の入れ替え ヾ(^^;)
だって~、タートルネックとか暑いんだもの
着ない洋服はどっちゃり「ヤフオク」の予定
え~い、みんな10円スタートだ~
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体が弱っている
熱が下がらないのだけれど、血液検査では異常なし
先週寝込んでいたら、フライパンが持ち上がらなくなった
目に見えて左腕が細くなった
採寸すると両腕の差が2cm
いかんなぁと分かっているけれども、体が言うことを聞かない
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ローズクォーツをネックレスにしていたのだけれど、中のワイヤが錆びてきて見た目が悪くなった
金具を買ってきて、テグスに交換
と1行で書けるけれども、「敵」は5mmと小さくて、当然その穴も劇小
老眼鏡でも見えません
かがみ込んで目の前8cmほどのところで作業
「目が壊れました」
もちろん肩も張っているし、首も痛い
でも出来上がりはキレイで、「余は満足じゃ」
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しなければいけないことは山の様にある
リストにすると、いや、考えるのはやめとこ
現実逃避と蔑まれるだろうけれど、精神状態=体調なのだからどうしようもない
おネコ様が最優先項目
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慣れない頭を使ったせいか、4時から起きているせいか、身体が動かなくなってしまった
重い体重がより重く、大気圧も苦しい
無重力で真空の宇宙に行きたい〜
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自分のホームページですら2年ぐらい放置なのに、知人のホームページ2サイトを解析
大元は詳しい方がドメインから取得されていた物
「cgi」やら、サーバーがワケワカで本当に苦労した
そもそも ftp のアプリからこけた orz
「ffftp」=ファイル名が「変」とか言う
「NEXTftp}=エラーで止まる
「ALFTP」=やっと成功
久しぶりに「窓の杜」とかウロウロしましたよ~
頭は沸騰しております (^_^;)
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相変わらず、記憶が曖昧だったので、また「Wikipedia」を参考にしました
1990年に公開された作品
8話からなるオムニバス映画
寺尾聰さんが主人公
制作総指揮がスティーブン・スピルバーグ
監督ご本人のみた「夢」が元になっているらしい
各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示される
その中に「赤富士」という作品がある
「大勢の人々が逃げ惑っている。何があったのかわからない。目の前では赤く染まった富士山が大噴火を起こしている。原子力発電所が爆発したという。目の前に迫る色のついた霧は着色された放射性物質であった…。」(上記「Wikipedia」より)
ネタバレになるのでこれ以上は止めておきましょう
(一度書いたのですが、止めました)
こんな世界になるとは監督ご本人は想像されていたのでしょうか。。。
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それは11月3日に始まった
なんと前回遂行された「プロジェクト」からは6ヶ月もの期間が過ぎ、事態は悪化の度合いが進むばかりだった
その時、立ち上がった者が居た
そして「一日一洗運動」再開ののろしを上げた
まず、一番事態が悪化していた「ソマリ洗浄計画」
汚染部位が長く、汚染の度合いも進み、プロジェクトの遂行は至難であった
幸い、当事者の同意を得られプロジェクトの半ばまでは順調であった
しかし、最後に、予想されたことではあっが、「乾燥」段階において困難の極みに達した
「追加タオルの投入」という画期的な手段により、その困難も克服することが出来た
次は、「目の見えない茶寅洗浄計画」
周囲に対する「騒音」問題が懸念されたが、担当者の迅速なる努力によって被害は最小限に抑えられた
この時も先のプロジェクトで画期的な効果を得られた「追加タオルの投入」作戦が遂行された
最後に、「トンキニーズ洗浄計画」
こちらは当事者からの友好的な姿勢でプロジェクトは安寧に進むかと思われたが、「ショーシャンプー」という極めて困難な「プログラム」があった
しかし、一部で若干の「騒音」問題が見受けられたが、無事に完了した
そして、担当者達は勝利の美酒」に酔うのであった
(これはノン・フィクションです)
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http://mainichi.jp/select/today/news/20111104k0000e040022000c.html?inb=tw
← 地震の約13分後、高度300キロ上空で観測された大気の波紋。星印は震央、×印は波紋の中心。赤が電子密度が高く、青は低い=情報通信研究機構提供
←地震の約68分後、高度300キロ上空で観測された大気の波紋。星印は震央、×印は波紋の中心。赤が電子密度が高く、青は低い=情報通信研究機構提供
「 東日本大震災の発生直後、高度300キロの大気中で波動が同心円状に広がる様子を、情報通信研究機構(東京都小金井市)と京都大、名古屋大の研究 チームが観測することに成功した。巨大地震後に大気に波が生じることは知られていたが、全体像を詳細にとらえたのは初めて。宇宙から津波を予測するのに役 立つ可能性があるという。神戸市である地球電磁気・地球惑星圏学会で6日発表する。
大気中で波動が起きると、大気の上層部の電離圏で電子の密度に変化が起きる。国土地理院の全地球測位システム(GPS)のデータで電子の密度を調 べたところ、地震発生から約7分後、震央から約170キロ南東を中心に電子密度が平時と異なる状態になった。電子密度の変化は時間とともに同心円状に広が り、約10分後、日本海上に到達。西日本では午後6時ごろまで波が観測された。
波紋の中心点は津波の発生地点とほぼ一致。津波を起こした海底の隆起による衝撃波が上空に伝わったと考えられるという。同機構の津川卓也・主任研 究員(超高層大気物理学)は「東日本大震災が地中の波(地震波)、海洋の波(津波)に加え大気の波も起こし、それが電離圏まで伝わったことが分かった」と 話す。大気の波は津波より速く伝わるため、「津波の伝わり方との時間差などが分かれば、津波がいつ到達するかなどの予測に役立つ可能性がある」としてい る。」
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「F1」っと関係無いなんてとんでもありまっしぇん <( ̄^ ̄)>
ずっと調べようと思って「揮発性メモリー」の彼方に。。。
以下、また「Wikipedia」より無断引用
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「マメーリの賛歌」
マメーリの賛歌(マメーリのさんか、Inno di Mameli)、あるいはイタリア人達の唱歌(イタリアじんたちのしょうか、Il Canto degli Italiani)は、イタリア共和国(1946年~現在)の国歌である。イタリアの同胞もしくはイタリアの兄弟 (Fratelli d'Italia) とも称される。
歌詞はゴッフレード・マメーリ (Goffredo Mameli, 1827年~1849年) によって作詞され、曲はミケーレ・ノヴァーロ (Michele Novaro) によって作曲され、ジュゼッペ・ヴェルディによって編曲された。作詞者にちなみこの名で通称される。1946年6月12日のイタリア共和国成立後、約60年にわたり国歌は法で決められていなかったが、2005年12月に法律で国歌と定められた。
1946年、サヴォイア王朝の廃止と共和制への移行に伴い、それまで用いられていたジュゼッペ・ガベッティ (Giuseppe Gabetti) 作曲の「王室行進曲」 (Marcia Reale) に代わってイタリア国歌となった。
「節を繰り返す」部分の歌い方は、総て 1 番を歌う時もあれば、1、1、コーラス、2、3、コーラスのように歌う時もある。
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イタリアの兄弟よ、イタリアは今目覚めた
シピオの兜(かぶと)を頭に戴き
勝利は何処にあらん
主が創りたもうたローマの僕(しもべ)
我がイタリア その美しい髪を捧げよ
さあ隊列を組め、我等は死をも恐れない
イタリアが呼んでいる、そうだ!
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いやぁ、5番まであるとは知らなかったし、メロディーが変わっても歌詞は同じだったとか全然分からなかった (^_^;)
ちょっと古いけれど、2006年の上海優勝シーン
これっきり優勝していないんだよね~
来シーズンこそ、頼みまっせ
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以下、無断転載
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A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
BY Mona Simpson, New York Times
- in Japanese
私はシングルマザーのひとりっ子として育ちました。家は貧しく、父親はシリアからの移民だと聞いてオマール・シャリーフみたいな人を想像していたもので す。お金持ちで優しくて私たちの人生 ―そしてまだ家具も揃ってないアパート― にやってきて、どうか助けてくれますように、そう願っていました。
後で父に会ってからは、電話番号を変えて郵便転送先の住所も私たちに残さなかったのはきっと父がアラブ新世界構築を企む理想に燃える革命家だからよ、そう信じようと努めました。
フェミニストながらに私は生まれてからずっと自分が愛せる男の人、自分にも愛情を注いでくれる男の人が現れるのを待っていました。それは父親だと何十年も思っていましたが、25歳のとき会ったその人は、兄でした。
そのころ私はニューヨークに引っ越して最初の小説の執筆に取り組んでいました。零細雑誌の仕事にありつき、クローゼットほどの広さしかない事務所で他の作家志望の3人と働いていました。
健康保険を買え買え上司にうるさくせっつくカリフォルニア出の中流の小娘の私のもとに、ある日、弁護士から電話がかかってきて、「依頼主はお金持ちの有名 人で、長年消息が途絶えているあなたのお兄様なんですよ」と伝えたもんだから若い編集者たちはエエーッと上ヘ下への大騒ぎとなりました。それは1985年 のことで、勤務先は前衛文芸誌だったのですが、まるでディケンズの小説の主人公みたいな筋書きだね、最高だねと言って、みんな狂喜乱舞したんですね。
弁護士は兄の実名を告げるのを拒みました。そこで同僚たちの間でさっそく賭けが始まりました。一番の有力候補は、ジョン・トラボルタ。
私は内心、ヘンリー・ジェイムズの文学を受け継ぐ人、誰か自分より才能のある人、頑張るまでもなく才気溢れる人だったらいいなあ、と心密かに願っていました。
いざ会ってみたらスティーブはジーンズ穿いた同年代のヤツではないですか。アラブ系かユダヤ系っぽい風貌の、オマール・シャリーフよりはハンサム君でした。
私たちは延々と散歩しました — いざ散歩に出てみて気付いたんですが、ふたりとも散歩が大好きだったんです。
その初めて会った日に何を話したかはもうほとんど覚えていませんけど、私が友だちに選ぶタイプの人だなあ、と思ったことだけは今もはっきりと覚えています。
コンピュータの仕事をしてるんだよ、と兄は説明しました。
私はコンピュータのことはあまり詳しくありませんでした。仕事で使うのもオリベッティの手動タイプライターだったし。
そろそろ最初のコンピュータを買おうかなって思ってるのよ、「Cromemco」とかいうの、と言うと、スティーブは、それは待った方がいい、今ビョーキなぐらい美しいの作ってるところだからさ、と言いました。
あれから27年。ここではスティーブと知り合って27年の間に彼に学んだことを、年代順ではなく体の状態に応じて、フルライフ、闘病、臨終という3つの時期にわけて少しお話したいと思います。
Phase 1: His full life
スティーブは自分が好きなことに打ち込んで生きました。一生懸命。来る日も来る日も。
信じられないぐらい単純だけど、本当です。
無為の対極にある人。
一生懸命が恥ずかしいとは決して思わない人でした、結果失敗に終わっても。 スティーブぐらい頭のいい人が頑張る自分を恥ずかしいと思わないんなら、たぶん私だって恥ずかしがる必要ないよね、と思ったものです。
アップルから追放された時はさすがに辛かったようです。一度私に話していたんですが、大統領を囲んでシリコンバレーのリーダー500人が一堂に会する晩餐会にもスティーブは招かれなかったのです。
傷ついていたけど、それでも兄はNeXTに働きに出ました。毎日欠かさず。
スティーブが一番大事にするのは目先の目新しさではありません。美です。
イノベータの割にスティーブには一度惚れ込んだら驚くほどローヤルなところがあり、あるシャツが気に入ると10枚でも100枚でも注文するんですね。パロアルトの家にはたぶんこの教会にお集りいただいたみなさん全員に配れるぐらい沢山の綿の黒タートルネックがありますよ。
流行やギミックになびかず、同世代の人々を好む人でした。
彼の美の哲学を思うとき心に浮かぶのはこんな言葉です。「ファッションは今は美しくても、やがて醜く見えてしまう。アートは最初醜くとも、やがて美しくなる」
スティーブは常に「やがて美しくなるもの」を追求していました。
誤解したい人にはさせておけ、という人でした。
その(大統領を囲んでの)舞踏会に招かれなかった兄はその足で、黒のスポーツカー(同じ車の3代目か4代目)を運転してNeXTに行き、そこでチームのみ んなと一緒に黙々とプラットフォームづくりに打ち込みました。後にティム・バーナーズ-リーがワールド・ワイド・ウェブのプログラムを書くことになる、そ の土台のプラットフォームを。
スティーブは愛のことを語ると、女の子みたいに延々しゃべってる人でした。彼にとっては愛こそが至高の美徳、神の中の神だったのです。一緒に働いた人たちの恋愛生活のその後を追っては、あれこれ気を揉んでいましたね。
お、これは女が猛ダッシュかけそうな男だな、とピピンとくると大声張り上げて、「ヘ~イ、きみシングル? 今度うちの妹と晩飯来ない?」と誘ったものです。
ローリーン(Laurene)に出会った日に電話してきた兄のことは今も覚えてます。「美人で、本当に頭が良くて、犬飼ってんだよ。俺、彼女と結婚する」
リード(Reed)が生まれると感動の余り喋って喋って、それきり親バカが止まらなくなりました。一人ひとりの子どものためにちゃんとそばにいるパパでし た。リサ(Lisa)に彼氏ができるとヤキモキし、エリン(Erin)の旅行やスカートの長さにジリジリし、イヴ(Eve)が馬を可愛がるとその周りで怪 我しないかハラハラしてる、そんなパパでした。
あのリードの卒業パーティーで一緒にスローダンスを踊ったリードとスティーブの姿は、一生忘れません。
ローリーンに対するいつまでも変わらぬ愛が彼の支えでした。愛はいつでもどこでも生まれるものだ、と彼は信じていました。ことこの重要な摂理に関してス ティーブは、一度も皮肉を言うこともなければ、斜に構えることもない、悲観もしなかった。あれは私も見習わなくてはならないと思って今に至っています。
自分は若くして成功した、それがために孤立した…という思いがスティーブにはありました。私が知り合って以降の兄は何かにつけ自分の周りにできたその壁を 取っ払うことを念頭に物事を決めていたように思います。ロスアルトスで生まれ育った中流の男の子として兄は、ニュージャージーで生まれ育った中流の女の子 と恋に落ちました。そんなふたりにとってリサ、リード、エリン、イヴを、地に足のついた普通の子として育てることは、何にもまして重要なことでした。
家ひとつとっても、アートや洗練された調度品で来る人を圧倒するような風情はありませんでした。それどころかスティーブとロー(ローリーン夫人)が一緒に 暮らし始めて最初の何年間かは、確か晩ごはんも芝生で食べていたと思います。それも1種類の野菜だけ、ということもしばしばでした。ひとつの野菜をうんと 食べるんです。でも、ひとつなんですね。ブロッコリならブロッコリ。旬のブロッコリをうんといただく。調理もシンプルでした。ちょうど合う、摘んだばかり の、ハーブを添えて。
若きビリオネアではあったけど、空港にはいつも自分で迎えに来てくれました。着くと、ジーンズ履いてそこに立っていたものです。
仕事中に家族が電話すると、秘書のLinettaが「パパは会議中ですよ。邪魔してきてさしあげましょうか?」と言ってくれたものです。
リードがどうしても毎年ハロウィンで魔女に化けると言ってきかないもんだから、スティーブもローリーンもエリンもイヴも全員しょうがなくウィッカ信者に化けて合わせた、ということもありましたね。
キッチン改装しようとしたらずるずる何年もかかって、その間お料理はずっとガレージのホットプレート。ピクサーのビルもちょうど同じころ建設中だったんで すが、あちらはその半分の時間で完成しちゃった、ということもありました。バスルームはずっと古いままでした。でも ―この違いが肝心なところなのだけど ― スティーブが見抜いた通り、あれはそもそも最初からいい家だったんです。
成功で得た富をエンジョイしなかったと言ってるんじゃないですよ。成功は大いにエンジョイしました。単にそこからゼロ何個か引いても兄は十分満足できる人 だったのです。例えば私にこう話したこともあります。パロアルトの自転車屋に行くのが楽しくてしょうがない、そこで一番いい自転車買えるんだなって思うと ニヤニヤしてしまうよ―。
結局あの自転車は買ってましたね。
スティーブは謙虚でした。学び続けることが好きな人でした。
違う環境で育っていたら自分は数学者になっていたかも、と言ったこともありました。大学のことを語る時は尊敬の念を込めて語り、スタンフォードのキャンパ ス界隈を散歩するのが何よりも好きでした(訳註:ジョブズ本人は一度もそうは言ってないが、昔を知る近所の人は「リード大学を中退したのは単に仕送りが続 かなかったからじゃないかな」と地元紙に語ってる。中退後も大学の授業に潜り込んで熱心に聴講していたし、長男にはリードという母校の名前までつけた)。
最後の1年、彼はマーク・ロスコ(Mark Rothko)が絵画について書いた本を学んでいました。それまで知らなかった芸術家なのですが、将来アップル本社の壁をどんな風にしたら人々をインスパイアできるのか考えながら読んでいたようです。
スティーブは妙なことに詳しい人でした。英国産と中国産のティー・ローズの歴史を知ってるCEOなんて、他に誰もいませんよね?
兄はポケットというポケットにサプライズを仕込んでおく人でした。ローリーンとは普通では考えられないほど密な結婚生活を20年続けてきたわけですが、兄 のことだからきっと自分がいなくなってからもローリーンが折に触れ見つけてくれるように、自分が愛した歌や詩の切り抜きを引き出しにこっそり忍ばせてある はずですよ。
兄とは1日置きぐらいに話していましたが、それでもある日ニューヨークタイムズを開いて会社の特許の特集記事に目を通していると、なんかそこに(彼が特許取得した)完璧な階段のスケッチが載ってたりするわけですよ。あれは本当に嬉しいサプライズでしたね。
4人の子どもと奥さんと、そしてここにいる私たちみんなと一緒にスティーブは、人生を大いに楽しみました。
幸せを、宝物のように慈しんで。
Phase 2: His illness
やがてスティーブは病にかかり、生活範囲がだんだんと狭まってゆきました。昔はパリの街中を歩くのが大好きで、京都に良い感じの小さな手打ち蕎麦屋を見つ けては喜び、ダウンヒルのスキーを優雅にこなし、クロスカントリーもカクカク滑っていたものですが、それももうできません。
しまいには、おいしい桃を喜ぶ…といった普通の楽しみにも心動かされなくなりました。
それでもあれだけのものが奪われて尚あれだけのものが残されていた、ということの方が私にとっては驚きでしたし、それが兄の病から学んだことでもあります。
椅子を支えに再び歩けるよう練習していた姿は忘れられません。肝臓移植の後、兄は1日1回立ち上がり、椅子の背に手を投げ、その痩せこけてとても体を支え 切れないような両脚を踏ん張って歩きました。椅子を押してメンフィスの病院の廊下を歩いてナースステーションまで行くと、そこでその椅子に座ってひと休み し、ターンしてまた元来た道を戻るんです。1歩1歩数えながら、毎日1歩でも多く歩けるよう少しずつ目標を上げていました。
くじけそうになるとローリーンが床に膝を突いて両目を覗き込んで、「あなたならできるわ、スティーブ」と声を掛けるんです。すると目を見開き、唇を一文字に引き結んで歩くのです。
兄は頑張りました。いつも、いつも、頑張りました。そして常にその努力の真ん中には愛がありました。ものすごく情に厚い人だったのです。
スティーブがどうしても痛みに耐えられなくなった時、あの恐怖の最中にひとつ気付いたことがあります。兄にはどうしても果たさなければならない目標があっ たんです。息子のリードが高校を卒業するまで、娘のエリンが京都に旅するまで、今つくってるボートが完成して進水するまではなんとしても生きたい、そう考 えていました。そしてこのボートで家族を連れて世界中を旅し、老後はローリーンとそこで余生を送るんだ、と。
病に倒れても、彼の趣味、選別、判断は健在なままでした。看護婦は67人に面接してやっと気の合う相手を見つけると、その3人に全幅の信頼を置いて最後まで看取ってもらいました。Tracyさん、Arturoさん、Elhamさんの3人です。
一度しつこい肺炎に罹った時には、お医者様に何もかも禁止され、氷もダメと言われてしまいました。そのとき私たちは普通の集中治療室(I.C.U.)にい たのですが、普段は列に割り込んだり実名を名乗って特別扱い受けるのが嫌いなスティーブにしては珍しく、ちょっと特別扱いしてもらいたい、と言い出したん ですね。
「スティーブ、これで十分特別扱いなのよ」と私が言うと、兄は私によりかかって言いました。「もうちょっと特別にしてもらえないかな、と思ってさ」
兄はチューブが挿管されて話せないときはメモ帳を持ってこさせて、いろいろ書き付けていました。病院のベッドでiPadを固定できるような装置をスケッチ し、新しい輸液モニターやX線機器をデザインし、そんなに十分特別でもない集中治療室も自分の思う姿に描き直してみたりしてました。そして奥さんが部屋に 入ってくるとそのたびに私の目の前で兄の顔にパーッと笑顔が戻るんです。
これは本当に重大な重大なことなんだ、冗談抜きで、と彼はスケッチ帳に書いて、私の方を見上げました。いいから頼む、持ってきてくれ。
何事かと思って覗いてみたらなんのことはない、お医者様の言いつけを破っていいから、氷を1個くれ、とあったのです。
Phase 3: His dying
この世に自分があとどれだけ生きていられるか、確実に知ってる人なんて誰もいません。
スティーブは最後の1年に入ってからも、調子の良い日はいろいろプロジェクトに着手し、これを必ず完成するまで見届けるよう、アップルの友人たちに約束さ せていました。オランダのボート職人の手元にはゴージャスなステンレス製の船体が、仕上げのウッドをはりつけるだけになって未完のまま残っています。娘は 3人ともまだお嫁にも行ってません。下の2人はまだ女の子です。私の結婚式の時してくれたみたいに教会で娘の手をとって歩きたいと、どんなにか願ったで しょう。
私たちもみな —結局最後は— 突然に死ぬのです。ストーリーの途中で。そして死んだ人の数だけストーリーは無数にあります。
何年もがんと闘って生きた人の死を「突然」と呼ぶのはあまり正確な表現ではないかもしれませんが、私たちにとって、スティーブの死は突然でした。
私が兄の死から学んだこと、それは人格とはあらゆるものの根幹にあるものだ、ということです。兄の死に様はまさに兄の生き様そのものでありました。
火曜の朝、兄から電話があって、パルアルトに急いで来るように言いました。愛しむような優しい声でしたが、まるで荷物を車に縛りつけて、もう旅の始まりに 着いてしまった人のような気がしました。兄は、すまん、みんなを残して先にいってしまうなんて本当に心の底からすまん、と言いました。
お別れの挨拶を始めたので遮って、「待って、今行くわ。空港に向かうタクシーの中よ。すぐ行くからね」と言うと、「なあに、もう間に合わないかと思って今言ってるんだよ」と言いました。
駆けつけると、兄はローリーンと冗談を言い合っているところでした、一生ずっと毎日一緒に生き一緒に働いてきた相棒同志のように。子どもたちを見ると、目に鍵がかかってアンロックできなくなったようにいつまでも飽かずに見つめていました。
午後2時ぐらいまでは奥さんが抱き起こして、アップルの友人の方たちとお話をさせてあげることができました。
それからほどなくして、もう私たちがいくら話しかけても二度と目を開けてくれないことが、はっきりしました。
呼吸が変わったのです。重々しく、周到に、ある目的に向かって呼吸している感じになりました。また1歩1歩数えてる…と思いました。前より1歩でも遠くまで歩けるように、数えてる。
そのとき悟ったんです。兄は死さえも主体的に取り組んでいたのだ、と。死がスティーブに訪れたのではなく、 スティーブが死をやり遂げたのだ、と。
じゃあね、ごめん、一緒に年取るっていつも約束してたのに果たせなくて本当にごめん、と言いながら兄は、自分はもっと良い場所に行くんだよ、と私に言いきかせていました。
Fischer医師の予想では兄が明け方まで持ち堪える確率は50/50でした。
が、朝までなんとか持ち堪えました。ベッドで隣に付き添っていたローリーンは息が止まる間隔が長いとビクッと飛び起きて、私と顔を見合わせます。すると深々と喘ぎながら息を吸い込み、また呼吸を続けるんです。
やり遂げなければ。兄はこの期に及んでも毅然として、ハンサムな横顔のままでした。完璧主義者で、ロマンティストの、顔。その荒い息遣いからは、険しい旅、急峻な道、聳える高みを目指しているのが伝わってきました。
まるで山に登っている人のようでした。
が、あれだけの意志、労働意欲、強さを掻き集めて戦う最中もスティーブは最後まで、不思議を求める心、理想を信じるアーティストの心、やがて美しくなるものへの憧憬といった柔らかな感受性を失ってはいませんでした。
スティーブが残した最後の言葉は、意識を失う数時間前に発せられました。それは3度繰り返す単音節語です。
旅立つ前、スティーブは妹のPattyを見て、子どもたちをずっと長いこと見つめ、人生の伴侶ローリーンを見ると、みんなの肩の向こうを見て、最後にこう言ったのです。
「OH WOW. OH WOW. OH WOW」
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R.I.P.
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「国際宇宙ステーションが加速すると、中のいる宇宙飛行士はどうなる?古川宇宙飛行士らが宇宙ステーションの中で実験しています。」
ん~、「慣性」の法則だべ?!
電車が加速すると「おっとっと」となるあれかな
おもしろいねぇ
いいなぁ、滞在してみたいなぁ>無重力空間
Space Station Reboost: The Inside Story
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こんなメールが届いた
タイトル:「お客様の iTunes Store アカウントに関する重要なお知らせ」
「iTunes Store をご利用のお客様へ
iTunes Store をご利用いただき、まことにありがとうございます。
最近、お客様の iTunes アカウントが他者によって無断アクセスされた可能性があります。セキュリティ保護のため、ご利用のアカウントのパスワードをリセットさせていただきましたのでご連絡させていただきます。iTunes アカウントのログインページに表示される指示に従ってアカウントを再有効化してください。また、次のWebサイトからパスワードを変更いただけます。」(以下略)
第一印象:あやし~ (iTunes 今はインストールしていないし)
第二印象:iTunes を使わせる「策略」か?
とりあえず、しぶしぶ、インストールしてみたら、パスワードはリセットされていない
「あやし~」
ところが、いろいろと調べてみると
「iTunes Store から送信されたように見えるメールであっても、添付ファイルや Apple 以外の Web
サイトへのリンクを含むメールは、Apple
からのメールではありません。多くの場合、これらの添付ファイルは、悪意を持って作成されたもので、開いてはいけません。Apple 以外の Web
サイトでは、Apple のアカウント情報を決して入力してはいけません。アカウント情報を必要とする Apple の Web サイトのアドレスには、http://
んぢゃ、リンクをダブルクリックっと
パスワード変更へのリンクはメールで送るとのメッセージ
まぁ、そこまでハッキングされていたら大問題ですわな
(でも、思えば、最初のメールを届けることが出来たのだとしたら、「仮想敵」はそこまで分かっているか~)
メールが届いたのでパスワード変更
今後も「iTunes」を使う気は無いので、アカウント削除方法を教えろ~とメッセージを送りましたとさ (^_^;)
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やっぱり心配なので、「りんご」のサイトからもう一度パスワードを変更しておきました (^_^;)
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