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2012年11月14日 (水)

「2011年3月の記録:原発事故発生時〜2週間:日記、周辺線量当量、被ばく値」

http://epcon.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/21620113-1a63.html


無くなると困るから、以下全文、無断転載 (関係者の方、お許し下さい)

※ 私の備忘録でもあります (実はまだ読んでいません バキッ!!☆/(x_x))

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テーマ216:2011年3月の記録:原発事故発生時〜2週間:日記、周辺線量当量、被ばく値(公開日:2012年11月13日)

テー マ213:福島の今4:飯舘村鴫原さん。「人の世話になって生かされている」鴫原さん。でも、3月17日の白い防護服は記憶違い(11/11)。/警戒区 域 動物との衝突事故相次ぐ(10/26)/両陛下、福島の除染現場を初視察(10/14)/国直轄除染:14年3月完了、遅れも…浪江など4町(10/2) /原発被害賠償 和解による早期救済が大切だ(10/1)/女たちの一票一揆。宮内は支持します。(9/29)/富岡町「5年間帰還できない」 警戒区 域、町長が宣言(9/27)(改訂:2012年11月11日)から、関連情報として下記情報を掲載します。
 

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    「2011年3月原発事故発生:日記、周辺線量、被ばく値」の公開目的
 

 このデータを用いれば、飯舘村、津島地区で内部被ばくした実測の大凡を把握することが出来ます。判断は当該地区の住民だった皆様 にお任せしますが、初期被ばく量は意外に小さいことに安心してほしいと願い公開します。データの公開を快諾してくれた、宮内の友人達に感謝致します。
 

 宮内のTwitterのフォロアー数が400人を超えたためまずTwitterで、そして本ブログのアクセス数が76,000件を超えたため本ブログで、本来の目的に効果的に使用される期待をこめて、それぞれ公開します。
 

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1.まず、この記事を再掲。 
 

20121111_74631・2012.11.10 産経ニュース:(上)人の世話になって生かされている。人に頼られて恩を返していける。  雲ひとつない。真っ青な空と、赤や黄色に葉を染めた木々が美しいコントラストを描いている。「帰還困難区域」に指定された福島県飯舘村長(なが)泥(ど ろ)地区は、四季折々の花が楽しめることで知られる。その長泥に通じる道路は人工的な緑色のバリケードで封鎖されている。鴫原さんら長泥の住民は今年7 月、高い線量の中での生活を余儀なくされた被(ひ)曝(ばく)の慰謝料などを求め、原子力損害賠償紛争解決センターに和解の仲介を申し立てた。弁護団の一 人は「国や村にはっきり物を言ってくれる。鴫原さんだからこそ、長泥の住民はまとまっている」と話す。「長いトンネルの中にいる。前も後ろも暗い。帰れる のか、帰れないのか。考えると眠れない」東京電力福島第1原発事故後の昨年3月17日、放射線量の計測器を持ち白い防護服を着た人たちを長泥で見かけた。数値は毎時95・1マイクロシーベルト。国際原子力機関(IAEA)が定める通常値を950倍も上回っていた。
 それを知らされたのは3月が終わるころだった。その間、長泥の住民は普段着のまま過ごしていた。
 
その1その2その3
 

・宮内コメント:東京電力福島第1原発事故後の昨年3月17日、長泥で測定したのは私の仲間。放射線量の計測器を持っていたが、白 い防護服などは着ていない。仲間が鴫原さんに始めて会ったのは、3月19日。その際、10分ほど話をしている。当然放射線量の話も出た。写真も撮ってお り、白い防護服など着ていないことも分かる。・・・鴫原さんの記憶が曖昧になっていることを指摘するつもりは無い。ただ、事実は事実。当 時の状況資料(線量評価、日記)は大手○日新聞社や○間事故調に手渡し済み。公表するよう言ってあるのだが、価値がありすぎて、信じられなく、ニュースバ リューが無いのかな?私は大変価値があると思っているのだが。この世に一つだけの当時の資料、価値が分からないかもしれない。
 

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2.次に原発事故後3月末までの手記を2人分Twitter掲載分を再掲
 

・Twitter 3月12日【発信】原発事故から1週間の体験手記を2つ。鴫原さんの誤解があったので、良い機会と捉えて、今公表。戦いの相手は放射線だけではなかった。
 

資料1:携帯メモ版(友人AM):ここ、資料2:報告書版(友人WT):ここ
 

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3.そして、被ばく量を掲載
 

 下記(1)〜(3)のデータは、福島原発事故直後に高線量地帯でモニタリング業務で被ばくした私の友人である保安検査官(国家公務員)の実測データです。今回の原発事故サイト以外で、日本で最初に被ばくした国家公務員のデータでもあります。
 マスクを含む如何なる防護着を装着していない状況で被ばくした為、被ばくの状況は同地域の住民の被ばくの状況と同じです。世界中にこれだけの正確な情報を満載したデータは唯一無二です。
 

(1)被ばくデータまとめ:ここ(外部被ばく量、内部被ばく量(WBC計測値、甲状腺被ばく量含む))
 参考文献:弘前大床次教授の論文ここ
 

(2)内部被ばくデータ:ここ(WBC生データ、分析評価部分を除く)
 

(3)外部被ばくデータ(3月15日〜20日の行動記録を含む):ここ
 

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4.備考
 

 このデータは、本来、文科省で公開するべきでした。その後、放射線審議会、原子力学会、保健物理学会、IAEA、原子力災害対策 本部原子力被災者生活支援チーム医療班、放医研で発表する機会がありました。また、国会事故調、朝日新聞、民間事故調でも発表する機会がありました。しか し、結局どこも発表せずに今日に至っています。このデータの存在を伝えたい。あきらめない。絶対にあきらめない。歴史の達人達もあきらめなかったのですから。
 
参考:あきらめなかった偉人たちここ
 

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・宮内コメント:本ブログを公開したことにより、1年7ヶ月に及ぶ肩の荷が下りました。
(。・ˇ_ˇ・。)ムゥ…
随分肩が凝りました。下記質問への回答を除き、私が出来ることは全て実施しました。肩の荷を降ろしましたが、仲間も含め何らかの報復を受けるかもしれないと、・・震えています。((((;゚Д゚)))))))  
 

 被ばくを心配する方々が、真に信用できる専門家を見分けることは困難でしょうが、私は信用できる専門家の一人として、事故当時の状況を知悉しているものの一人として、仲間の協力を得て、何とか役に立ちたいと考えています。
 

 質問はここへどうぞ→ miyauchijoe@gmail.com
 

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