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2014年3月29日 (土)

あぶないよーーー

「全員歩きスマホin渋谷スクランブル交差点-もしもスクランブル交差点を横断する人が全員歩きスマホだっら?-」

本当にアブナイですからヤメテネ
特にホームの端っこ歩く人、自殺行為だし、落ちたら電車止まるし~ 

 
 

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2014年3月27日 (木)

Magic for dogs

「Do dogs react to magic? Watch as magician & mentalist Jose Ahonen vanished some dog treats under their noses. By the way, all the dogs got treats before and after the trick :)」

メチャクチャ可愛い~


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2014年3月20日 (木)

地下鉄サリン事件

あれから20年…


阪神の地震と同じ年だった


「平成」
「うち平らかに成る」


いつもなら私は丸ノ内線で霞ヶ関駅を通過するはずだった

どうしてだったか忘れたけれど、東西線に乗っていた
霞ヶ関駅は通らなかった

突然のブレーキと長時間の停車
車掌さんも何が起きているのか分からないようだった

「どこかでガスが発生しているようです」

当時、地下鉄では携帯が通じなかったのでひたすら待つのみ


なんとか動いている地下鉄を乗り継いで地上に出たら、ものすごい数のヘリと消防車、救急車、パトカー


事務所に着いたら皆から無事で良かったー!と
聞けば朝からテレビに張り付いていたそうな

そこで始めて何が起きていたのか知った次第


テレビでは負傷者の氏名と搬送先が延々と流れていた

当時は携帯を持っている人も多くなく家族からの電話をひたすら待つ辛い雰囲気

皆テレビの画面に食らいつき、友人知人の名前が無いことを祈っていた

電話が鳴る度に飛び上がっていた


私の直接的な知人には被害者がいなかったけれど、知り合いの知り合いには亡くなった方までいらした

事件に居合わせた人は鞄から靴まで全部捨てさせられたとも聞いた

オウムの本部があった所を知っていたので、麻原(松本)死刑囚も信者達もたくさん見た

何が彼らを事件に走らせたのか
黙秘されては分からない

生きている間に語ってはくれないか!

それが納得できることとは思えないが、このままではあまりにも辛い


毎年この日が来る度に思う
死ぬまで思い続けると思う


なぜ なぜ なぜ なぜ …

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2014年3月12日 (水)

ミハエル、ガンバレ~!!!!!!!!!!

ミハエル・シューマッハーのマネージャーであるサビーネ・ケームがシューマッハーの家族の代理として声明を発表した。

「私たちは今も、ミハエルが今の状況を乗り越え、目を覚ますと信じています。時々、期待を感じられる小さな兆候が見られますが、今は忍耐の時期であることを私たちは承知しています」

 

ミハエル、頑張れーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


Photo

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長野県栄村

3年前の2011年3月12日午前4時前、長野県栄村で震度6強の揺れを観測

世間は東日本大震災で大変だったけれども忘れてはいけないと思っていた

 

「大きな被害を受けた住宅や道路、農地などは、去年12月までにすべて復旧しましたが、地震のあと村を離れる人が相次ぎ、村の人口は、この3年間でおよそ7%減少」

 

もともと過疎化が問題だったのか、地震がそれを加速したのかは分からないけれどもなんとかならないものか。。。

 

という私が栄村に移住して産めよ増えよできるわけでもなく、手をこまねくばかり

 

嗚呼、無力だ

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2014年3月11日 (火)

2011年3月11日14時46分18秒

    「2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒、宮城県牡鹿半島の東南東沖130キロメートル、

    仙台市の東方沖70キロメートルの太平洋の海底を震源地震が発生した。

    地震の規模はマグニチュード9.0」

    あの日のブログをコピーしておこうと思います。(私の居たところは震度5強)
    忘れられないあの日をいつも心に留めて祈り続けるために。。。

 

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「あの地震」の時、私は心療内科のクリニックにいた

カウンセリングが終わり診察を待っているときに、急にひどい目眩に襲われた
フラフラと受付カウンターに行き、「フラフラする」と言った後は崩れるように倒れた
「すみません」「すみません」とつぶやけるのだけれど、体に力が入らない

受付の方が側にいらして、椅子に座らせてくださった
ちょうどそこに主治医が出てらして、「あらあら」と仰った後、脈をとられた

そう、耳も聞こえるし、何をされているのかも分かるのだけれど、体だけがグニャグニャで、目の前が真っ暗

主治医が「ゆーっくり、息を吸って、吐いて」と仰った
その通りに出来た

そして車いすで、「点滴ルーム」へ運ばれた
ベットには少し自分の力も出せて、寝かせて頂いた

横になっているのに、グルグルと天井が回り、足下もフラフラする
まるでジェットコースターに乗っているようだった

看護婦さんが優しく声をかけてくださり、額に冷たいタオルを乗せてくださった

どれぐらい時間が経ったろうか、ふとツナサンドの薫りがしてきた
これから点滴を受ける方がお腹が空いて食べていらしたようだ

無性にお腹が空いてきた
その頃には座っていられた
立ち上がってもフラフラしなくなっていた

看護婦さんにお話しをしたら、お向かいのコンビニで何か買ってきて食べなさいとのこと

お財布と携帯だけ持って、ブーツを履き、コートを着て、エレベータの前に行った

その時だった




エレベーターのところに来たときだった

体がフラフラし始めた
あれ?、また倒れるのかな?と思ったら、周囲にいらした方が、「地震!」と叫ばれた

揺れる、揺れる
振幅の幅がハンパではない
まるでお盆に乗せられて、左右に大きく振られているようだった

カウンセラーの先生が、非常口を開けられ、エレベーター前の花瓶を必死に手で押さえていらした

私は座り込んでしまった


エレベーターは何か音を出したのだろうか、止まった


停電はしない

 

もう一人の女性の患者さんが「怖い、怖い」と叫ばれていたので、抱きついて「みんな一緒にいるよー!!!!」と叫び続けていた

あれは絶対叫びながら自分に言い聞かせていたのだと思う

もう収まるだろう、もう収まるだろうと思えど、揺れは続く
何分揺れていたのだろう
「ついに東京の地震が起きたか」という思いが駆け巡る

揺れが長引くにつれ、本当の恐怖心がわいてきた
これから何が起きるのだろうという本物の恐怖心

確かに生きていく上で、次の瞬間に何が起きるか分からない
そういう意味では怖いと思う
だけれども、あの地震の最中は「これからどうなるんだろう」という本物の心の底からの恐怖心があった

抱きついている女性はパニックになっていた
「助けて~!、助けて~!」と叫んでいた
頬を寄せ、「いるよ~、いるよ~」と叫びつつ、私は一人じゃないんだと自分に言い聞かせていたんだと思う

果てしなく続いたような気がした地震もようやく収まる時が来た

私は呼吸をしていたんだなと思えるほど、何も分からなかった

エレベーターの前に倒れ込んでいた




揺れが終わった後、何分へたり込んでいたのだろう

抱きついていた女性は少し平静さを戻し、「すみません、すみません」と謝っていた
「大丈夫、みんな怖いから」と言って背中をさすっていた

そうしていたら、院長先生が非常階段を駆け上がっていらした

「みんな、大丈夫? ケガしていない?」

私は先生に、一緒にいらしている方の様子を一言伝えた
なんて言ったのかは覚えていない
先生はすぐさま事態を把握され、彼女を看護婦さんの元へと連れて行かれた

私はコートとカバンを受け取り、椅子に座っていようとした

しかし、次から次へとくる余震
怖くて椅子に座っていられなかった
床にへたり込んでしまった
「腰が抜ける」というのは、あのような状態を言うのだろうか

携帯をとりだし、連絡を試みるも通話は当然ダメ
メールもダメ
「Twitter」が機能している

とりあえず、自分の無事を「つぶやく」

そうしたら、私のカウンセリングの先生がいらした
私に声をかけてくださり、私は先生の声を聞いて少し落ち着いた

そして私がお願いしたのか、先生が用意してくださったのか、私はノートパソコンを1台お借りすることができた

ニュースサイト、各交通機関、気象庁などなどのサイトに接続していった
Twitter にNHKのテレビを 「USTRAM」されているサイトが紹介されていたのでそれにも接続

それを低い音量で流していたら、主治医が診察するぞ~と呼ばれた

そして診察
主治医はいつもよりユックリとお話しをされていた
私が興奮しているのがお分かりになったのだろう
地震のことはそんなに触れず、倒れたときのお話しをしてくださった

少し不整脈があったらしい
血圧も低かったらしい

お薬が少し増えることになった

交通機関が止まっているので、病院に止まっているように指示された

そしてお会計を済まし、お薬をいただきに、外へ出た




非常階段を下り、外に出た

おそるおそる周囲を見渡した

崩れている物は見あたらなかった
周囲の人は皆立ち止まって、携帯をいじっている

薬局に処方箋を出し、私は今すぐに何をすべきか猛スピードで考えた

病院の建物は無事
主治医には病院に止まるように指示された
病院は停電していない
トイレは使える
お水もある

次は食料だ

私が食べなければと思った

目に付くパンをいろいろと買った
現金は必要だから、スイカで買った

立ち食い蕎麦屋さんが営業しているのを見つけたので入った
「唐揚げ蕎麦」を食べた
「立ち食い蕎麦」初体験

次に病院にいる人の食料のことに気がついた
ドラッグストアに行って「ヴァーム」を1ダース買った
買い占めてはいけないと思った

お薬を受け取り、病院に戻った




病院に戻り、主治医に「ヴァーム」を渡し、感謝された
ちょっと嬉しくて心が緩んだ

「災害掲示板」とかいうものに投稿しておいた返事が来るようになった

メールは時たま5~6通まとめて届くようになっていた

Twitter で友人達が情報をくれる
ありがたかった

母がデパートに行っていることが分かった
年寄りだから心配だったが、いる場所が広域避難所に指定されていたので、まぁ大丈夫だろうと思った

届くかどうか分からなかったが、親戚達にメールを送った

あとは、余震におびえながら、ずっと Twitter を見ていた

患者さん達も帰ることが出来ず、不安そうにしていた
女の子達に食事をするようにアドバイスをした

一人の子は外に出られないと言ったのでパンをあげた

この段階で、病院にお泊まりを覚悟していた
主治医も交通機関が動いていない中、女性達を放り出すような無責任なことはされないと勝手に信じていた

余震の続く中、重苦しい沈黙が続く

携帯は予備バッテリーで充電しながら、Twitter を見ていた

連れとは Twitter で連絡を取り合っていた
歩いて帰れる距離に会社があるので、帰途についてくれることになった

私はなすすべくもなく、Twitter を見ているだけだった




出はいりしていた病院の方が、一部の地下鉄が動いたと知らせてくださった

既に、猪瀬副都知事の「つぶやき」で都営地下鉄が動くことは把握していた

それならば帰宅できると判断
主治医に伺ったところ、大丈夫でしょうとのご判断

焦らずにゆっくりと行動するようにとのご注意の元、帰途についた

地下鉄に行く途中、大勢の人とすれ違ったが、皆、途方に暮れたように歩いていらした
地下道を歩いていて、風が動いていることが分かった
子供の頃から地下鉄で学校に行っていたので、電車が動いていることが本能的に分かった

駅に着くと確かに動いている

すぐに私の乗りたい地下鉄が来た
それほど混んでいない
途中、繁華街の駅があったけれども、殺人的な混み方ではなかった

なぜか、地震で止まるとは全然思わなかった

無事に乗換駅に到着

乗換駅では人々が疲れ、階段に座り込んでいらした
その光景にものすごく「不安」と「恐怖」を感じた

次の地下鉄の駅に行くとシャッターが閉まっていた
「マジ?!」と焦ったが、人々が一カ所に集まり、整然としている
駅員の説明する声も聞こえない
雰囲気は悪くはなかった

直後、一カ所のシャッターが開いた
そう、私がそこに到着した瞬間に駅が開いたのだった

粛々と人々はホームに向かう
途中、駅員や警察官により、入場規制がひかれ、ホームも整然としていた

地下鉄はなかなか来なかった
駅のホームなのに携帯は圏外になったり、電波が入ったり不安定だった

アナウンスは次の電車がどこにいるかこまめに知らせてくれ、じっと待っていられた

やっと来た電車はそんなに混んでは居なかった
途中の駅ではかなり混んだりしていたが、無事に最寄り駅に着くことが出来た

最寄り駅には、運転再開を聞きつけた人々が続々と集まり始めていた

そして歩いて帰宅
マンションの非常階段の場所は連れからかろうじて届いたメールで分かっていたが、真っ暗で怖かった
携帯の灯りを頼りに、一段ずつ足で探りをいれながら上った

そして玄関のドアを開けた瞬間、へたり込んでしまった

連れもネコも無事だった

ちなみにデパートにいた母も地下鉄で午前2時頃無事帰宅

 

長文、失礼いたしました
でも、忘れる前に、一つ一つを書き留めておきたかったのです

書くことによって、追体験し、それを自分で納得し、何かを吐きだしてしまいたかったのです

ある意味「ストレス」解消でしょうか

コレを読んでご不快になられた方がいらしたら、心よりお詫び申し上げます

 
 

亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます

被害に遭われた方に心からお見舞い申し上げます

地球と、心と体がキズ付いた方々のために、私は祈り続けます
それが私に出来る唯一のことではないかと、今は、思うからです

======================

 
 

    あの津波の映像、火事の映像、原発の事故。。。
    目を背けたいことばかりでした
    背けて無くなることならばと何度祈ったことでしょう

    死者15,884人、重軽傷者6,148人、行方不明2,633名のご家族・ご友人の方々のことを思うと声になりません。

  

    今の私に何ができるでしょうか?

 

    ちょっぴりの募金を続け、祈り続けることだけでしょうか?

 
 
 
 

    あの日思ったのですが、一部の方々はその後買い占めなどに走ったようですが、
    地震直後はみなさん整然と行動され、駅でも係員の方の誘導に粛々と従い、
    日本人って偉いなっとちょっと誇らしく思いました。 

 

    ちなみにあの「唐揚げ蕎麦」は味がしなかったです。人間はショックなことがあると
    味覚が失われるというのはそういうことなのでしょうね。

    「USTREAM」のスペルも間違えているのはお目こぼし下さい。

Photo_3




 
    

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2014年3月 7日 (金)

不思議なこと

今日は病院に行くと言って出かけたのに、老母から診察中に着電
それも2度連続

さすがに何かと思い、ドクターの許可を得て電話に出たところ

「お刺身、何がいい?」

私はブチ切れましたよ 

ドクターは同情して下さいましたけれどね。。。 (´_`)

 
 

その後、整骨院にいたらBGMにかかったのが

 
 
 
 

ビックリしました

この曲は亡き父が「エンディング・ミュージック」として自ら選び、
もう意識のないレベルでも聞かせたところ、目を開いてそちら側に首を傾けた曲でした

心電図が静かになった後も流し続けました

 

何かメッセージでしょうか。。。

 

不思議なものを感じました

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