地下鉄サリン事件
あれから20年…
阪神の地震と同じ年だった
「平成」
「うち平らかに成る」
いつもなら私は丸ノ内線で霞ヶ関駅を通過するはずだった
どうしてだったか忘れたけれど、東西線に乗っていた
霞ヶ関駅は通らなかった
突然のブレーキと長時間の停車
車掌さんも何が起きているのか分からないようだった
「どこかでガスが発生しているようです」
当時、地下鉄では携帯が通じなかったのでひたすら待つのみ
なんとか動いている地下鉄を乗り継いで地上に出たら、ものすごい数のヘリと消防車、救急車、パトカー
事務所に着いたら皆から無事で良かったー!と
聞けば朝からテレビに張り付いていたそうな
そこで始めて何が起きていたのか知った次第
テレビでは負傷者の氏名と搬送先が延々と流れていた
当時は携帯を持っている人も多くなく家族からの電話をひたすら待つ辛い雰囲気
皆テレビの画面に食らいつき、友人知人の名前が無いことを祈っていた
電話が鳴る度に飛び上がっていた
私の直接的な知人には被害者がいなかったけれど、知り合いの知り合いには亡くなった方までいらした
事件に居合わせた人は鞄から靴まで全部捨てさせられたとも聞いた
オウムの本部があった所を知っていたので、麻原(松本)死刑囚も信者達もたくさん見た
何が彼らを事件に走らせたのか
黙秘されては分からない
生きている間に語ってはくれないか!
それが納得できることとは思えないが、このままではあまりにも辛い
毎年この日が来る度に思う
死ぬまで思い続けると思う
なぜ なぜ なぜ なぜ …
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