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2018年8月26日 (日)

耳が痛い

カテゴライズしようとしてしまった。


中川翔子さんの記事。

「学校行けなかった自分へ…中川翔子さんが「オールオッケー!」と言えるまで「しんどい時こそ、夢の種まき」」


以下無断引用


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ブログでは「せめて好きだったことを書こう」って、明るい遺書的な感じで、「これが好きでした」、「アニメソングが好き」って、今まで言えていなかったことを書いていきました。



好きなこと、ほめることだけ書いていたら、文章に引っ張られて、すごい明るくなって。



大好きな人にも、お互いが生きていれば、会えるって分かった。



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気持ちが悪いわ、24時間テレビ

これはこれで福祉に目が向けばそれはそれで素晴らしいことだと思う。

1人でも一瞬でも「寄付」ということに気持ちが向けばいいと。



でも、8月だけの反戦みたいにこの日だけの事として通り過ぎていくテレビ局がキライ。
毎日報道しろとは言わない。

週に1回でもそれぞれなりに(訂正:それぞれ)頑張っていらっしゃる方々に目を向けて欲しい。



それでも今日の24時間テレビは気持ちが悪かった。


オーケストラのシーンしか見ていないけれど


傷害(訂正:障害)がわかりやすい(目立つ)車椅子の人たちを舞台の一番前に並べ、メロディーラインは優秀なオーケストラ部員が演奏する。



大きなコントラバス等は物理的に無理かもしれない。

それならば部員抜きでシンプルにメロディーを演奏すれば良い。



障害のある人を晒し者にしているとしか思えない。


気持ちが悪い。


傷害(訂正:障害)を「障がい」と表記しないと差別だ、とか。

そういう発想こそが「差別」だと思う。



私は二本足であるけれど(訂正:歩けるけれど)この人は車椅子でないと歩けない。



それの何が違うのだと。


私が躓けば周りに人は手を差し伸べてくれる。


車椅子の方が段差で困ってイラしたら(訂正:いらしたら)手を差し伸べる。


それを「障害者には」云々。



障害者だろうがなんだろうが自分と違う物を差別する。(区別する。)



これが一番気持ち悪い。




いろいろと誤字脱字だらけで反省。

文字を書く時は精査しないといかん。

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2018年8月22日 (水)

台風合体?

「災害」が起きていないのに、カテゴリーが「災害」というのも、不謹慎。

でもコレでは何が起こるのか訳分からなくて怖い。


画面で見ると小さいファイルだけれどクリックしたらものすごく大きく、元の画面への戻し方が分からない~

しーらないっと。ヾ(^^;)


Photo_2



リロードしたら元に戻った~

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2018年8月18日 (土)

イチロー選手 試合前のストレッチ

例によって無断転載。

すみません。


アチコチ痛いので参考にしたいです。

(三日坊主にならないように。。。)



【MIA】 イチロー選手 試合前のストレッチ (マーリンズ・パーク)






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2018年8月16日 (木)

気持ちが良い動画

【カタヌキパラダイス~厳選ダイジェスト~【ASMR/音フェチ】】

何も考えずにこういう動画をボンヤリ見ていたい。





<『カタヌキパラダイス』の冒頭とその他の部分を大幅にカットし、「型を抜く」シーンを気持ちいいテンポで凝縮させました。映像的にも音フェチ的にも鑑賞しやすい内容になっていると思います。 ロングバージョンで余計なシーンが多いと感じられた方はもちろん、音フェチ好きの皆様はぜひ一度お試しください。ご感想お待ちしております。>


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2018年8月12日 (日)

Road Trip USA | Daniel Ricciardo takes F1

Road Trip USA | Daniel Ricciardo takes F1 to San Francisco, Monument Valley and Las Vegas


レッドブルがまたやりました。

レッドブルF1をF1ドライバ、ダニエル・リカルドがドライブ。


CGを使わずにちゃんと実写。

楽しいねぇ!!! 


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2018年8月 6日 (月)

「折り鶴」に関する意見

Twitterに書こうと思ったのだけれど、ダラダラ文で支離滅裂、卑怯だけれどこっちに。


内容は「自己満足」モード全開。


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8月になるとあちらこちらで「折り鶴」を見かけます。


最近その「折り鶴」が問題視されることも。


食料や下着でさえ切迫している時に届く段ボール一杯の「折り鶴」。


それを邪魔者扱いするとは、送る側の気持ちを無下にするなと。

切迫して余裕のない時に送ることは、乱暴な良い方をすれば、私は「押しつけ」だと思う。


時日が過ぎニュースで報道されなくなると忘れられたかと悲しまれるかもしれない。


その時に送るというのはどうであろうか(それでも千羽は重い思い。)


私は忘れていません、いつも心にあります、その思いを鶴に託して送ります、と。


中には忘れてしまいたいのに「鶴」を見ると辛い日を思い出す方もいらっしゃるかも。


そういう方のお気持ちを思うとやはり「折り鶴」は難しいのかもしれない。

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「送ってやった」という気持ちが一番悪いと思う。


「思いやり」それで十分では?


形で残したいとは送り主のエゴではとまで思ってしまうことも。


募金の意味が分からない子供達にはどのように教えればいいのだろう。。。




【怒】


ウワサでは穴の開いたシャツや新品ではない下着を送りつける輩もいるらしい。



被災地はゴミ捨て場ではない、それで「支援」した気持ちになるとはどれだけ「上から目線」か。





むかし海外に毛布で支援しようとした知人が送料を請求されて怒っていた。


寄付する方がなぜ送料を負担しなければいけないのかと憤慨して支援を止めてた。


送料に費やせる余裕があればもっと手厚い支援が出来るという考えが出来ないのだろうか。


子供心に優しくない人だなと思った。




等と書き散らしているだけの私も卑怯だ。

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