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2018年8月 6日 (月)

「折り鶴」に関する意見

Twitterに書こうと思ったのだけれど、ダラダラ文で支離滅裂、卑怯だけれどこっちに。


内容は「自己満足」モード全開。


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8月になるとあちらこちらで「折り鶴」を見かけます。


最近その「折り鶴」が問題視されることも。


食料や下着でさえ切迫している時に届く段ボール一杯の「折り鶴」。


それを邪魔者扱いするとは、送る側の気持ちを無下にするなと。

切迫して余裕のない時に送ることは、乱暴な良い方をすれば、私は「押しつけ」だと思う。


時日が過ぎニュースで報道されなくなると忘れられたかと悲しまれるかもしれない。


その時に送るというのはどうであろうか(それでも千羽は重い思い。)


私は忘れていません、いつも心にあります、その思いを鶴に託して送ります、と。


中には忘れてしまいたいのに「鶴」を見ると辛い日を思い出す方もいらっしゃるかも。


そういう方のお気持ちを思うとやはり「折り鶴」は難しいのかもしれない。

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「送ってやった」という気持ちが一番悪いと思う。


「思いやり」それで十分では?


形で残したいとは送り主のエゴではとまで思ってしまうことも。


募金の意味が分からない子供達にはどのように教えればいいのだろう。。。




【怒】


ウワサでは穴の開いたシャツや新品ではない下着を送りつける輩もいるらしい。



被災地はゴミ捨て場ではない、それで「支援」した気持ちになるとはどれだけ「上から目線」か。





むかし海外に毛布で支援しようとした知人が送料を請求されて怒っていた。


寄付する方がなぜ送料を負担しなければいけないのかと憤慨して支援を止めてた。


送料に費やせる余裕があればもっと手厚い支援が出来るという考えが出来ないのだろうか。


子供心に優しくない人だなと思った。




等と書き散らしているだけの私も卑怯だ。

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