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2019年7月29日 (月)

杉浦千畝さん

なぜか今日の<<Google Doodle(グーグル ドゥードゥル)>>は


「杉原 千畝 を称えて」


Photo_20190729122101

 

 

ユダヤ人にビザを発給し数千人を救った外交官。(@リトアニア)



政府の方針、外務省の訓令にそむいてビザを発給し続けた。



この方の功績を外務省は認めていなかった。


そこまでは何かで知っていた。


ちょっと長いけれどwikiより無断引用。



「貴殿第三九號ニ關シ、陸海軍及内務各省ト協議ノ結果、獨逸及伊太利ニ於テ排斥ヲ受ケ外國ニ避難スル者ヲ我國ニ許容スルコトハ、大局上面白カラサルノミナラス現在事變下ノ我國ニ於テハ是等避難民ヲ收容スルノ餘地ナキ實情ナルニ付、今後ハ此ノ種避難民(外部ニ對シテハ單ニ『避難民』ノ名義トスルコト、實際ハ猶太人避難民ヲ意味ス)ノ本邦内地竝ニ各殖民地ヘノ入國ハ好マシカラス(但シ、通過ハ此ノ限ニ在ラス)トノコトニ意見ノ一致ヲ見タ」
【現代語訳=貴殿(山路総領事)が発信した第39号(請訓電報)に関し、陸海軍及び内務各省と協議の結果、「ドイツおよびイタリアにおいて排斥を受け、外国に避難する者をわが国に受け入れることは、大局上よろしくないのみならず、現在事変(日中戦争)下にあるわが国では、これらの避難民を収容する余地はないのが実情なので、今後はこの種の避難民(外部に対しては単に『避難民』の名義とすること。実際はユダヤ人避難民を意味する。)のわが国内地(本土)ならびに各植民地への入国は好ましくない。(ただし、通過はこの限りでない[注釈 18]。)」とすることで意見が一致した。】
— 近衛外務大臣から在外公館長への訓令「猶太避難民ノ入國ニ關スル件」(昭和13年10月7日付)



その人道的な行動に対して外務省からは罷免され名簿からも抹消されていた。


「杉原はユダヤ人に金をもらってやったのだから、金には困らないだろう」という悪意に満ちた中傷から、

ニシュリ「杉原ビザ」受給者の一人で、新生イスラエルの参事官となっていたニシュリ(Yehoshua Nishri)
による千畝の名前の照会時の杓子定規の対応まで、旧外務省関係者の千畝に対する敵意と冷淡さは、2000年に河野洋平外務大臣による名誉回復がなされるまで一貫していた。
(wiki)


杉浦千畝さんはキリスト教徒であったらしい。


ユダヤ教とキリスト教の関係はggrks。


宗教を超越した「人道」。


すべての宗教指導者にこの心があれば。。。(T_T)



業績は素晴らしいけれど、なぜ今日?


<<1986年(昭和61年)7月31日(満86歳没)>>



これまでに外務省と故杉原氏の御家族の皆様との間で、色々御無礼があったこと、

御名誉にかかわる意思の疎通が欠けていた点を、外務大臣として、この機会に心から

お詫び申しあげたいと存じます。日本外交に携わる責任者として、

外交政策の決定においては、いかなる場合も、人道的な考慮は最も基本的な、

また最も重要なことであると常々私は感じております。

故杉原氏は今から六十年前に、ナチスによるユダヤ人迫害という極限的な

局面において人道的かつ勇気のある判断をされることで、

人道的考慮の大切さを示されました。

私は、このような素晴らしい先輩を持つことができたことを誇りに思う次第です。


— 2000年10月10日の外務大臣河野洋平による演説


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生前になぜ復権されなかったのか!


役人としては本国の意志に反した行為かもしれない。

だけれども人の命と組織のどちらが重要か考えるまでもない。


「役人根性」「ねたみ」「そねみ」

これ以上醜悪な感情は無い。





いや、そもそも何故今日?

 

 

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