311
後年まで記録に残る震災だった。
「過去形」にしてしまえない。
死ぬまで私は覚えている。
あの日あの時間。
2011年3月11日14時46分
クリニックのエレベータ前にいた。
コンビニでお茶を買ってから少し休ませてもらおうと思っていた。
クリニックから自宅に直行していたら電車の中でパニックを起こしていたと思う。
腰を抜かすと言うことはあの様なことだったと思う。
パニックに陥っていた方を抱きしめたまま、五感を集中して黙っていた。
男の先生が非常階段のドアを身体で支えつつ飾ってあった花瓶をおさえていらした。
おりしも建物は外壁工事の足場があった。
ぼんやりと崩れるのかなぁと思っていた。
クリニックの性格上テレビやラジオは無かった。
当時はまだ利用者が少なかったTwitterで家族と連絡がとれた。
それでもなにが起きていたか分からなかった。
名古屋にいらっしゃる知人がYoutubeか何かのリンクを教えて下さった。
クリニックでパソコンを貸していただいて状況が分かった。
NHKのテレビを拡散して下さった学生さん。
著作権などで放送するのは禁止だったけれど、それでも流して下さった。
どれだけ勇気づけられたか。
幸い徒歩圏にいた家族は先に帰り、馴染みのお店に顔をだして帰宅していた。
猪瀬直樹氏のTwitterも有り難かった。
後年いろいろと足を引っ張られていたけれど小池知事にはできないだろう行動力だった。
Twitterで避難中の家族⇒ドイツの家族⇒Twitter拡散⇒ヘリで救出
最近はまた何でも国会の承認が必要とか言っているけれど甘えているんじゃない!と思う。
ゴチャゴチャ言っている間に人は死ぬんだ。
猪瀬知事はシャッターを閉めてしまったJRに怒り、都営地下鉄は安全が確認されたら動かせ!
それに影響を受けたメトロも動き始めた。
地下鉄さえ動けば帰ることができた。
途中で山手線の駅を抜けていったけれど、階段に座り込んで家族に繋がらない電話を架けようとして一生懸命な方もいらした。
数台の公衆電話に長蛇の列。
やっと家族と電話が繋がったサラリーマンの方が怒っていらした。
「無事が分かれば用件は終わりだ。グチャグチャ言うな。電話に並んでいる人が大勢いるんだ。切るぞ!」
心配する家族の気持ちは痛いほど分かってけれど用件だけですぐに切る、そんなことにも日本人の誇りに思った。
津波の画像はつい最近まで見られなかった。
理屈をきけば理解はできるけれど人間としては理解が出来ない。
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