The Deep Sea
「The Deep Sea」
スクロールしていくとそこで確認された海洋生物が表示される。
意外な物がいる。
ゾウアザラシ、2,389m ほぼ富士山だよ~
タイタニック号、3,800 meters.
「The Deep Sea」
スクロールしていくとそこで確認された海洋生物が表示される。
意外な物がいる。
ゾウアザラシ、2,389m ほぼ富士山だよ~
タイタニック号、3,800 meters.
記事を見つけたのでそれについて書こうと思ったのですが、自分の言葉では書けませんでした。
想像すら出来ないので全文無断転載です。それも一部抜粋です。意図的にはならないように留意しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210806/k10013178241000.html
爆心地の広島市と広島県の北部を結んでいたのはいまのJR芸備線。
当時の様子を知りたいと、JR西日本広島支社に取材すると「戦時中の記録はほとんど残っていない」とのことでした。
そこで、広島市がまとめた「原爆戦災誌」をひもとくことにしました。
そこには「九日、芸備線が第八0一列車を初列車として、全面的に運転を開始した」との記述がありました。
「原爆戦災誌」や「原爆医療史」には8月6日当日に開設された救護所が記されています。
6日当日に列車を動かしたという男性にたどり着きました。
河原謹吾さん、95歳です。
当時、芸備線の車掌を務めていました。
河原謹吾さん
「6日の日は確かに列車を動かしました。道路沿いにはがれきなんかがあるんで線路伝いにけがした人がどんどん入ってきました。服が破けてほとんど裸みたいな、かわいそうな人がいっぱいいました。
どこまで帰りますかという確認をしてですね、乗れるなら乗りなさいいうて。なんとかしてこの人たちが元気になっておうちに帰れればいいなと」
身元がわからないまま運ばれて、そのまま亡くなり、火葬された人も少なくありません。
そうした人を悼むため、爆心地から遠く離れた各地に慰霊碑が点在しているのです。
境章造さん
「8月7日、学徒動員で工場に行くと、広島から通っていた女学生など、全体の半分も出勤していなかった。仕事にならないので、材料を整理していると、学校から命令がありました。
広島で火災が起きて、避難してこっちに帰ってくるということで。救護活動に向かうことになった」
境章造さん
「この近くの河原でも毎日毎日遺体を火葬して、煙が上がっていた光景がいまでも目に浮かぶ。原爆は許しちゃいけんということを訴えるためにもこういう像は必要であろうかと思う。
平和は大切なんだ、戦争はいけんのじゃということを子どもにも若い人にも意識してもらって、引き継いでくれりゃええがなと思う」
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